大きなお城の可愛いお姫様。
彼女はとても幸せでした。

玩具にお菓子に、素敵なドレス。
全てを持っているお姫様は幸せそうでした。

沢山の人に囲まれて
両親に愛されてお姫様は幸せなはずでした。

幸せじゃなきゃ、困るのです。













目の前にそびえ立つ大きなお城。
広い庭にまわりに立っている沢山の大人たち。




「ここが今日から隼人の家だよ」




隣に立っていた俺を見ていた男の人は
そう言うとお城の中へ入っていきました。
俺は不安になる気持ちを抑えながら
その後を慌てて着いていきます。

俺は今日、母さんのもとを離れてイタリアへやってきました。
今まで別れて暮らしていた『父さん』が
自分の住んでいる家で俺と暮らしたいと言っていたのだそうです。
母さんはそれを聞くと凄く喜んで
気がつけば俺は父さんと名乗る男の人と、沢山の大人たちと共に
飛行機へと乗せられました。
俺はここで母さんの夢を叶えるのです。


本当は来たく無かったです。
母さんと離れるのは嫌だし、俺は父さんを良く知りません。
それに・・・父さんも周りの大人たちも知らない言葉で話をしているのです。


でも、母さんが俺と父さんが一緒に暮らす事に凄く喜んでいて
俺のことをいっぱい褒めてくれたので俺は我慢してイタリアに来ました。


凄く凄く怖いです。
けど、それを知ったら父さんは俺を日本に返すかもしれません。
そしたら母さんは悲しむかもしれません。
それが嫌だから、俺は自分の気持ちを隠したまま
父さんと一緒に城へと入りました。




お城に入ると、奥の部屋から女の子が出てきました。
フワフワの髪の毛の年上の女の子です。
お城の雰囲気やこの子の様子から
俺はこの子はお城のお姫様だと思いました。

だってキラキラしたワンピースや父さんと話す異国の言葉が
日本にいた頃に寝物語に読んでもらった
遠い国に住むお姫様のイメージとぴったりだったからです。




お姫様は父さんの後ろに隠れている俺に気づくと
不思議そうに俺の顔を覗き込んでいました。
俺はなんだか恥ずかしくなって父さんの服のすそを掴むと
隠すように顔を覆いさらに後に隠れました。


父さんはそんな俺に苦笑しながら、日本語で問いかけます。




「この子が怖いのかい?」




そう言われて俺は首を振り「そんなこと無い」と強がりました。

本当はこの子だけじゃなくって
知らない言葉を話す人は皆、怖いです。
でも、それを行ったらさっき考えてたように
日本に帰されてしまうかもしれません。




「ちょっと・・・疲れただけです」




俺はそう言うと父さんの裾を離しました。




「そうか、長旅だったからな。
 部屋を用意してあるから夕食までそこで休みなさい」




父さんはそう言って側にいた女の人に何か言うと
この人が用意してくれた部屋まで案内してくれる事を教えてくれました。
俺は父さんにお礼を言うと女の人に続いてお城の奥に入っていきます。



後では父さんとお姫様が知らない言葉でお話をしています。
何を話しているかは聞き取れません。

でも一瞬振り返ったとき、
俺の目はお姫様の輝くような瞳と重なりました。

心まで見るかされているような深い色。
でも、その色を感じた途端に俺の心の中の恐怖心は消えました。



不思議な事にまだ一言も交わして否お姫様への恐怖心は薄れたのです。
大人だらけのこのお城で、
子供という立場の相手だから感じたのかもしれません。



せめて、名前だけでも聞いときたかったな・・・。



あとで父さんにあったら聞いてみよう。
そう思いながら俺は案内された部屋へと入っていきました。











その日の夕食。
部屋に案内してくれた女の人に連れられ食堂に向かうと、
そこにはお姫様と知らない女の人が先に夕食を食べていました。
お姫様同様、煌びやかな服を着た女の人は俺の顔を一目見ると
何もいわず食事を続けます。
お姫様は後ではいってきた俺が気になるようでしたが
隣で食べている女の人と少し会話をすると
すぐに食事を再開していました。


なんだかよく分からなかったけれど
俺も席につくと二人を見習って目の前の食事に手をつけます。
ナイフやフォークでの食事に離れてない上に
食べなれない料理の数々に悪戦苦闘しましたが
誰も注意したり、手ほどきをしてくれる人はいません。

せめて母さんがいてくれたら・・・。

目じりに知らぬうちに涙がたまってきました。
泣きたくないけど泣いてしまいそうです。


そうこうしながら食事を続けていると
最後に父さんが食堂に入ってきました。
そして半泣きになりながら食べている俺の後ろに立つと
肩を掴み女の人とお姫様に向かって、
また知らない言葉で何かを言ったのです。



もちろん、俺には何を言っているのか分かりません。

けどそれを聞いた瞬間、
前に据わっていた女の人の形相が変わりました。




「・・・・・!!!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」




何か、わからない言葉を俺に投げかける女の人。
呆然と様子を見守るお姫様。

そしてそんな俺たちを一瞥して衝動を出た父さん。



何がどうなっているのか分かりません。
でも唯一分かるのは、女の人が食堂を出た後に
堪えきれず流れた冷たい涙。


お姫様は声を出さずに泣く俺を見ると
ハンカチを差し出して何かを呟きました。

使え、という事なのでしょう。




「ありがとう・・・」




消え入りそうな声を出すと俺はハンカチを受け取り頬を拭きました。

母さん。俺は耐え切れる自信がありません。
言葉も分からず、何も知らない土地での生活は辛いです。

それに、父さんが俺の後ろに立ったとき言っていた
「跡取りはお前だよ」と言う言葉も分かりません。



分からないことだらけで、もう嫌です。
母さんは今の俺を見たら・・・どう思いますか?











今日からお城での勉強が始まりました。
日本の学校と違ってここでは俺と先生が一人ずつみたいです。

父さんたちが話している言葉の先生もやってきました。
この人は俺の言葉も分かるし、この人の話している事もわかります。
だから試しに「跡取り」という言葉の意味を聞きました。


先生が言うには、大人になったら分かるそうです。


先生の言葉は分かるけれど、その意味は分かりません。
けど、跡取りというのになったら
俺の母さんは喜んでくれるだろうと先生は教えてくれました。
それは俺もずっと思ってました。


母さんは何時も言っていたのです。
俺を跡取りにするのだと。


なら俺は跡取りになりたいです。
母さんが喜んでくれるならなりたいです。

そう言うと先生は困ったような笑うような曖昧な表情をしていました。




母さんに喜んでもらいたいというのは可笑しいのでしょうか?
ずっと、俺は母さんと二人きりでした。
母さんが俺の世界の全てでした。




だから今でも俺の世界は母さんが中心なのです。











最近、食堂であった女の人が俺を苛めます。

急に殴られたり物を投げつけられたり・・・。
それを見るたびにお姫様は俺を助けてくれますが
その後は必ずお姫様が苛められています。



俺もお姫様も傷だらけです。
でも回りの大人たちは誰も助けてくれません。


先生に言っても「跡取りに決れば
彼女を追い出せるよ」と言うばかりです。
逆に言えば跡取りにならなければどうなるのでしょう?


今夜もまた、あの女の人の足音が聞こえてきました。
俺の部屋に近づいてきてるみたいです。


母さんたすけて。
じゃないと、いつか俺はあの人に殺されます。



今日までのことを手紙にして書きました。
母さん、この手紙を読んだら助けに来てください。
怖いです。辛いです。


母さんが来るまで我慢します。
だから早く来てください。











今日は外から新しい大人が来ました。
名前は『シャマル』といいました。

彼はお医者さんだそうです。
そして俺の言葉も分かるみたいです。


俺は嬉しくって、悲しくって今までのことを全部シャマルに話しました。


ここに来てからの事。
誰にも話すことの出来なかった事。
いっぱいいっぱい辛かった事。


全て話し終えるとシャマルは少し筋張った掌で
乱暴に俺の頭を撫でてくれました。




「がんばったな」




その言葉に、俺のタガが取れた気がしました。



限界だという事に誰も気づいてくれなかったのです。
本当は打たれるのだって嫌だし、
誰にもそれを訴えられないのは凄い嫌だったんです。

回りの大人たちも見ていながら
お姫様以外助けてくれなかったのも嫌だったんです。

でも彼だけは気づいてくれたんです。


すごく・・・嬉しかった。
だから、ポツリと呟いてしまったんです。


俺の最高の秘密を。


俺の秘密を知ってシャマルは心なしか嬉しそうでした。
そして俺の小指と彼の小指を絡めると
父さんに内緒にしてくれる事を約束してくれました。


母さんごめんなさい。
二人の秘密ばらしちゃいました。
けど彼なら信用していいと思います。



だって、本当に気づいてもらえて俺は嬉しかったんです。












今朝、お城から俺を苛める女の人がいなくなりました。

あの人がいなくなって俺は嬉しかったけど、
お姫様はなんでだか寂しそうです。
何時も、苛められていたのになんででしょうか。
俺にはわかりません。

あと、今日は女の人と入れ替わるように父さんが帰ってきました。
父さんはお姫様と少し話すと
俺のほうを振り向き謝りながら強く握り締めてくれました。
そして日本の母さんからの手紙を俺にわたしてくれました。
前に俺が出した手紙の返事をくれたみたいです。




「すまなかった」




父さんは何度も日本語で謝ります。
そして、こう言ったのです。




「私が全部悪いんだ。
 お前の母さんが“ああ”なってしまったのも、
 自分の妻を壊してしまったのも、全部父さんが悪いんだ」




父さんはそう言うと俺の首に顔をうずめて涙をこぼしました。



俺は、父さんの言っている意味が分からなくって
父さんの抱擁されるとと渡された手紙を広げます。
久しぶりに見る母さんの字。
けど、そこに書かれていた内容は
俺の望んだものではありませんでした。




『隼人へ
 こんにちは、隼人。元気にしてますか?
 お父さんに迷惑かけていない?
 お母さんは日本で元気に暮らしています。

 イタリアでの生活には慣れましたか。
 言葉もわからないと大変でしょうけど
 お父さんが隼人は一生懸命、
 イタリア語を習っていると言っていました。
 他のお勉強も見所があると言ってましたよ。
 お父さんも跡取りとして鼻が高いみたい。
 凄く嬉しそうにお母さんに話してくれました。
 
 これで、隼人が跡取りなのは決ったみたいね。
 なんでも、お父さんのもう一人の奥さんにも
 そう言ってくれたみたいよ。
 完全に決ればお母さんもまた隼人と暮らせるわ。
 大きなお城でお父さんとお母さんと隼人の3人で
 仲良く暮らせるの。嬉しいでしょ?

 だから隼人も頑張ってちょうだい。
 貴方はお父さんの跡取りなの。
 そんな息子を持てて私も嬉しいわ。

 それじゃあ、また手紙書くからね。
 絶対にあの女の娘に負けちゃダメよ。
 貴方には「長男」という武器があるのだから。
 男ということが大事なの。跡取りとしてはとても。
 だから、絶対に女の子という事は誰にも気づかれてはダメよ』




俺はそれを読んで震えました。



なんで、どうして。


助けてていったのに、無視するの。




俺の手紙読んでくれたんじゃないの。
俺の手紙に返事をくれたんじゃないの。



言いたい事があるのに言葉になりません。




これ以上無理なんです。
これ以上頑張れそうにありません。



部屋に戻ると俺は終わりの部分を破り捨てました。

気持ち悪くて
ムシャクシャして
気がつくと俺はこの日に食べてものを全部吐いてました。

なにも出なくなるまで吐きました。



母さん。あなたに喜んでもらうには
もっと頑張らなければいけないのですか?











翌朝から、俺は熱を出して寝込みました。
熱に浮かされている間の事は何も覚えてません。




けどその間に何度も同じ夢見ました。
白い空間に一人でポツンと立っていて
ずっと泣き続ける夢です。

俺はここにいない母さんは呼び続けました。



でも母さんは答えてくれません。

いない人が答えてくれるわけが無いのです。

でも俺は母さんに向かってずっと叫び続けました。




何度も何度も。
同じ叫びを同じ夢の中で繰り返しました。




熱の中で目を覚まして
眠ればまた同じ夢を見て。




終わりの無い行為に俺は疲れ果ててました。
そして何度目の眠りのときでしょう、
始めて夢の内容に変化が訪れたのです。




その時も俺は夢の中で泣き叫んでました。
あいも変わらずここにいない母さんに向かって泣き叫んでました。
勿論、いつも通りなら返してくれる声がありません。





でもその夢だけは俺に駆け寄る人がいたのです。


茶色い髪の美しい瞳のお姫様。


彼女は泣き叫ぶ俺に近づくと手をのばしました。
でも俺の体はその直前で消えていきます。
目覚めが近いようです。

それでも彼女はずっと俺に手をのばし続けました。
そしてこう叫んだのです。




『笑って』と。

夢はそこで覚めました。











目を覚まして最初に見たのはシャマルの顔でした。

彼いわく、俺は2日間も眠り続けていたそうです。




「無理のしすぎだ」




そう言って冷たいタオルをのせてくれると
困ったように彼は微笑みました。




「・・・夢を見たよ」

「夢?」

「お姫様が俺を助けようとしてくれるの」




童話のような内容に彼は苦笑を漏らします。
そして飲み物と薬を俺に渡すと悪戯っぽくこう付け加えました。




「もしかしたら正夢になるかもな」




お姫様が、俺を助ける?




「ありえないよ、現実は童話じゃないんだ」

「子供らしくないこというなよ」




ピンと頭をはたくとシャマルは豪快に笑って部屋を後にしました。


そりゃ、出来るなら俺だって信じたいです。
でも現実は、それほど甘くないです。


でも・・・。




「わらって・・・か」




夢のお姫様の最後の一言は俺の叫びにも似てました。

俺も、母さんに笑って欲しくって夢の中で泣き叫んでいたのだから。











翌日、お姫様が俺の部屋にやってきました。
なぜか手には母さんからの手紙を持って。


お姫様は中に誰もいないことを確認すると
俺にそっと手紙を差し出しました。


そして深呼吸するとこう言ったのです。




「私はビアンキ。宜しくハヤト」




それは俺にもわかる日本語でした。

お姫様・・・いやビアンキは俺が驚いているのが分かるのか
ニッコリ笑いながら自分の手を俺の前に出すと続けます。




「ハヤトとお話したくって日本語を勉強したの。
 ハヤト、私はあなたの秘密を誰にも言う気は無いわ」




けれどそう言われてもまだ警戒心は解けません。
だって彼女の持っている手紙や
彼女の口ぶりから俺の秘密を知っていることが分かるからです。

また胃液がこみ上げてきます。
体がふらつきそうになりながら堪えると
俺は必死の思いでビアンキを睨みつけました。




「本当に言わないわ。お父様にもお母様にも内緒にしといてあげる。
 メイドにだってコック長にだって内緒よ。
 シャマルだけは最初から気づいてたみたいだから別だけど・・・」




彼女のその様子に俺の心は少し揺らぎました。
なぜだか彼女のあまりの必死さに逆に罪悪感を覚えたからです。




「ほんとう・・・に?」

「本当よ」

「絶対に、誰にも言わない?」

「もちろんよ。
 でも、3つだけ条件があるけど」




3つの条件。
その単語を聞いて俺は顔を曇らせました。

でも彼女は俺の様子を笑顔で
見つめながら条件を言っていきました。




「1つ目は、私と仲良くしましょう」





え・・・・。

最初の条件を聞いて俺は顔を上げました。
ビアンキはその様子を楽しそうに
見ながら次の条件を言っていきます。




「2つ目は私を“お姉ちゃん”って呼んで」




その言葉は意味不明でした。
彼女が何を望んでいるのか分かりません。

けど、条件に出すからには大事なモノなのでしょう。
俺は訳も分からないまま頷きました。

そして3つ目の条件。
それは夢の中で見た光景でした。




「3つ目はね・・・ハヤトに笑って欲しいの」




最初からずっと怯えているか、
悲しんでいるかしか見たことが無かったから。




「これが私の秘密を守る条件よ」




その言葉を聞いて、
俺は無意識に彼女に抱きついて泣き出しました。
彼女はそんな俺に呆れることなく優しく抱き返してくれます。




夢の続きを見ている気分でした。




「おねえ・・・ちゃん・・・・」




なれない言葉を呟きながら、
俺はずっと泣き続けます。




ごめんなさい、母さん。

あなたの嫌うお姫様にも俺の秘密はばれてしまいました。
でも俺は嬉しかったんです。


彼女にバレて。
彼女に気づいてもらえて。


だって抱きしめてくれる腕のぬくもりと
彼女の笑顔はずっと俺の求めてきたものだったんだから・・・。











父さんがお仕事に旅立つ日、
仲良く手を繋ぐ俺とビアンキを見て微笑みながらこう言いました。




「ファミリーで仲良くするんだよ」




そう言いながら俺とビアンキの頬にキスを送ると
沢山の人々と一緒にはお城の門をくぐっていきました。




あの後から俺は色々な事を知りました。


お姫様は俺の「姉」だという事。
母さんが何故、ビアンキを嫌っていたのかという事。

そして跡取りという事。




でも俺にはもうどうでも良いです。
隣で笑ってくれる姉がいるのだから。
優しく見守ってくれるシャマルがいるのだから。



ぼんやりとしていると階段の踊り場から家庭教師たちが
俺たちを呼んでいました。

今日から俺にはピアノの家庭教師がつくそうです。
そしてそれに合わせてコック長が
ビアンキににお菓子の作り方を教えてくれるそうです。




「曲が弾けるようになったらね、お姉ちゃんに最初に弾いて上げる」

「私も最初に作ったお菓子は必ず、隼人に食べさせてあげる」




そう言って手を放すと俺は勢い良くは元気に階段を昇りました。




母さん。

貴女へ書く手紙は直ぐには書けそうにありません。
でもいつか、貴女の呪縛から抜け出せる日がきたら
必ず貴女に俺の字で手紙を出します。



でも必ず貴女に知って欲しいんです。
俺はこのお城の跡取りになれる気はありません。


それを知ったら、母さんは悲しむでしょうか。怒るでしょうか。
でも出来るなら貴女には分かって欲しいです。





そしてほかの方法で貴女の笑顔を見つけたいと思います。

遠い空の下の母さんへ。




過去捏造話。ウチの女の子獄設定です。