白煙が晴れる前に自分の目に最初に映ったのは紅だった。真っ白な煙に映える気持ち悪いほどの赤。紅白のコントラストを発生させたのが自分の腹部から流れ出てた血だと知ったのはそれからすぐのことだった。

「獄寺君!」

誰かが俺を呼んでいる。煙の向こう。そこから駆け寄って崩れ落ちそうな俺を抱きとめてくれたのは俺が知っている十代目より大人びた『十年後の十代目』だった。俺の名前を心配そうに呼ぶ耳に心地の良いテノール。

「なん・・・で・・・」

震える声。十代目以外の声が聞こえてきて俺は声の先へ視線を送る。
誰・・・だ、お前。なんでそんな悲しそうな寂しそうな・・・心配そうな顔で俺を見るんだ。青白い顔をして俺と十代目を見つめる俺の知らない男。真っ白な髪と服の男は足元に落ちていた拳銃を拾い上げると俺達に向ける。

「殺・・・してやる!お前は絶対に殺してやる!!」

その銃口は驚くことに十代目に向かっていた。
止めてくれ・・・十代目は殺させない・・・。それは十年前でも十年後でも変わらない『沢田綱吉』という人物へ向けられた俺の忠誠心。なのに腹部から血を流す俺に十代目を庇うほどの力は残ってなくて、それどころか今意識を保つことすら容易ではなかった。

止めろ・・・止めろ・・・十代目を殺すな・・・・。

俺はパクパクと口を動かすが声を出すことが出来ない。悔しいが視界も薄暗くなってきた。
・・・俺、死ぬのか?十代目を守れないまま十代目より先に。何も分からないまま・・・なんで自分が血を流しているのかも知らないまま・・・このまま死ぬのか?

「死なせない」

誰かの声が聞こえた。

「絶対・・・死なせない」

祈るような、縋る様な悲しい声。

暗くなっていく俺の目には声の主を確認するだけの視力は残っていない。血が流れすぎたせいか、頭もくらくらしてきた。体が寒い。力が抜ける。
そんな凍える俺の手を誰かが力強く握り締めた。

「お願い。助けて」

それは誰の祈り言葉か。誰のための祈りの言葉か。
俺が呟いたのなら、それは十代目のための言葉なのだろう。でも違う。この声は俺のために祈ってる。握り締める掌から伝わる思いの強さ。・・・お前は誰だ?

目を明けたくても瞼が重たくて開かない。手の温もりはそのあと聞こえた複数の声にかき消され、それからあの祈りの声は聞こえなくなった。冷たくなっていく俺の掌。そして同時に薄れていく俺の意識。

けど心の何処かで思った。俺のために祈ってくれた『誰か』に会いたい、と。
消えていく意識。離れてしまった温もり。最期に残っていたのは柔らかな花の匂い。ただそれだけだった。





目を覚ましたとき、俺がいたのは窓もない薄暗い部屋だった。最低限度の家具しかそろっていない部屋で眠っていた俺。簡素なベッドで目を開いて最初に見たのは未来の十代目の姿。

「良かった・・・一週間以上も眠ったままだったから心配したよ」

大人なのに俺と知っている十代目と変わらない幼い顔で俺を抱きしめてくれた十代目。何回も病み上がりの俺の体を調べるように触れながら俺の質問に丁寧に答えてくれた。

俺が意識を失う前にいたのは現在、ボンゴレと対立しているミルフィオーレのマフィアのアジトだったこと。
そして俺を撃ったのはそのボスである白蘭という男だということ。
瀕死の俺を背負って十代目が命がけでボンゴレのアジトまで連れて帰ってくれたこと。
そして十年バズーカの故障のせいか、俺はすぐには元の時代に帰れないということ。

「今はね・・・地上のボンゴレ本部もミルフィオーレのせいで壊滅状態でね。君には悪いけど地下の本部に運ばせてもらったよ」
「地下・・・。そんなに上は危ないんですか・・・?」
「・・・病み上がりの君にこんなことを言うのは酷だと思うけど・・・地上は君の知っている世界とは違う。草一本生えていないような荒れ果てた大地が延々と続く・・・この世の地獄だ」
「そ・・・そんな。まさか・・・嘘ですよね?」

俺の言葉に十代目は辛そうな顔で首を振る。
嘘ではない、と。無言で俺に伝えるように。

「なんで。何で・・・そんなことに」
「ミルフィオーレがそうさせたんだ。ボンゴレを壊滅させるためにね。一般人とかそんなのも関係ない。無差別で無慈悲な破壊。奴らはまさに悪魔だよ」
「・・・・・・・・」
「守護者や関係者も殺された。家族友人まで殺されたんだ。生きてるのは俺とわずかな守護者。・・・この地下アジトの壊滅も時間の問題だよ」

辛らつな表情で十代目の口から紡がれるのは信じたくない未来の姿。怪我のせいだけでは無く、精神的な心労から青くなってしまった俺を見た十代目は慌てて笑顔を作ると俺に暫く休むようにと部屋を出た。

「また来るから。君は必ずここで待っててね」

外は危ないからと付け足して十代目は扉を閉める。
そして次の日。約束どおり十代目は朝から俺の部屋へやって来てくれた。

「地上に出ることができないから退屈でね。話し相手になってくれる人も・・・少ないし」
「十代目・・・」
「ごめんね。怪我人の君に心配かけるようなことばかり話しちゃって」

やっぱり大人になってもダメツナだなと寂しく笑う十代目はトレーに二人分の食事を持っていた。

「こんな物しか今はないんだ。本当は栄養があるものを食べさせてあげたいんだけど」

十代目がそう言って差し出してくれたのは数枚の乾パンと具の少ない薄い色のスープ。それを俺に差し出し自分も同じ物を食べ始めた十代目を見て、俺は現在のボンゴレがどれほど追い込まれてるかを実感する。
天下のゴッドファーザーがまさかこんな状況になっているなんて。未来の俺は何をやっていたんだと攻めずにいられない。

自分のふがいなさを感じて涙ぐむ俺に十代目は心配そうに傷が痛むのか尋ねてきた。その優しさがまた身に染みて俺は二粒の雫をスープこぼす。薄いはずのスープが何故かしょっ辛く感じた。


それから一週間はあまり変わらない日々だった。十代目が空いた時間に俺のところを尋ね、たまに他の守護者が俺の様子を見に来る日々。まぁ見に来るといっても生きていた守護者は雲雀と芝生頭だけだったが。
でもその二人もろくに会話も出来ないまま突然俺の前に姿を現さなくなった。十代目の口から告げられたのは二人の死という現実。

「もう、俺と獄寺君しかいなくなちゃった」

そう言って小さく震える十代目を俺は励ますことも出来ず黙って抱きしめた。


暗い雰囲気で過ごす部屋の中。独りになった俺は消えそうな蝋燭の火を眺めて一人で毛布に包まっていた。電気ももう数日前から使えない。食料も昨日から一日一食になった。地下にあるというこの部屋には外部の音も聞こえず、唯一の情報は十代目から告げられる外の様子ばかり。
怪我人で・・・しかも過去から来た俺が表を出歩いても命を落とすだけだと分かっている。俺に出来ることはここで僅かでも十代目の支えになることだけだ。精神的でも何でも少しでも俺を相手に十代目が慰められるならそれで良い。

それで良い。

それで良い。

それで・・・良い・・・と思っていたのに。

十代目はそれから三日間、俺の前に姿を現さなかった。十代目がここにこない以上、俺には食べるものも飲むものも無い。蝋燭の火もとうの昔に消え暗い部屋の中で時を教えるものも俺にはなかった。だから三日間と感じていた時間も本当なら一週間とか一ヶ月とかたってたのかもしれない。でも俺にはわからない。ただ俺にわかる事はこのまま十代目が来なければ俺には餓死という道しか残っていないということだ。

十代目にここを出るなといわれてる以上、俺はここで待つしか出来ない。

「十・・・代目」

暗い部屋で俺の声が響く。大丈夫、だと信じたい。きっと来ると信じてる。
少なくとも俺が『未来』にいた以上、中学生の俺がここで死ぬ可能性は低いはずだ。でも十代目は?俺に未来の十代目の無事を知らせるパーツは無い。


そう思った瞬間、恐怖が俺の体を包んだ。


どうしよう。このまま元の時代に戻れない。少なくとも十代目の無事を確認するまでは、帰りたくない。そう思った俺は痛む体に鞭を打ち部屋の唯一の扉へと手探りで向かった。表に出ることを許可されて無い以上、この行為が十代目への裏切りだと分かっている。

でも・・俺は。

僅かな光が欲しくて俺がノブに掌を重ねた瞬間、信じられないことに扉の向こうからノブが回された。ゆっくりと開く扉。そしてその向こうに薄い光と共に見えた姿は・・・。

「十代目・・・?」
「獄寺・・・くん?」

俺の良く知る、中学生の十代目の姿だった。十代目は俺を見ると俺より幾分か小さな体を寄せ背に腕を回す。

「ご・・・ごめん・・・」
「じゅうだい・・・め?一体、どうしたんですか?ふるえて・・・泣いてるんですか・・・」
「俺・・・おれ・・・なにがなんだかわからなくて・・・」
「十代目・・・?」
「ごめん・・・どうしよう・・・おれ・・・・おれ・・・・」

パニックにかられ意味不明なことを繰り返す十代目。俺は落ち着かせるようにその体を抱きしめ返しながら十代目の言葉を拾い上げていく。途切れ途切れの言葉。その中で紡がれた真実は・・・。

「未来の・・・十代目が・・・白蘭に殺され・・・た?」

それは疑いながらも心のどこかで考えてた事。信じたくない、未来の姿。

なんで、どうして、こんなことに!!!
こんな未来・・・こんな未来・・・俺は信じるもんか!

震える十代目から手を離し俺は崩れるように床に突っ伏した。ごめんなさい、十代目。不安なのはあなたも同じなのに、俺は・・・自分の事で精一杯です。

「死なせない」

思わず俺の唇から零れた言葉。

「絶対・・・死なせない」

祈るような、縋る様な無力な俺の願い。
今なら分かる。俺のために祈ってくれた誰かの気持ちが。

顔も名も知らぬ誰かよ。きっとお前もこんな気持ちだったのか。

幼子のように純粋で途方も無い願い。でも祈らずにはいられない。
この俺の目の前で震える俺の君主のために。


でも俺は『誰か』とは違う。助けを誰かに求める前に俺は・・・俺は・・・!

「十代目・・・」

真っ赤に腫らした目で十代目を見上げる俺。それを幼い十代目は見下ろしていたとおもう。薄暗い部屋の中では彼の表情は見えない。

「俺は未来を変えます」

泣いてるのか笑っているのか分からない彼の靴に口付けを落とし、誓いを立てる。俺の全身全霊をかけた願いと誓い。

「あなたを死なせない」

無謀と言われても無理だといわれても俺が叶えてみせる。
あなたのために・・・このボンゴレのために!

「・・・・ん・・・・よ・・・」

十代目の声が掠れて聞こえた。もう一度お願いします、と尋ねる前に俺の視界をまたあの白煙が包む。俺は過去に帰れるのか?突然の事態に驚きつつも素直に喜べないのはこんな未来を見てしまったからか。

けど、大丈夫。俺がこんな絶望の未来を変えてみせる。

過去に戻る前に聞こえたのは扉の開閉音。そして耳に馴染みのある男の怒声。その音の意味を俺は知らないまま、俺と同じ煙に包まれた幼い十代目が小さく微笑む姿が目に焼きついた。次に目を開いたときには見慣れた並盛の風景。そして日常の音に身が包まれる。

「帰って・・・来たのか」

長い間、薄暗い部屋にいたせいか野外の光が目に染みる。
けどこの見慣れた光景も未来では・・・。そんな考えを振り払うかのように強く首を振ると俺は歩き始める。
一歩一歩、未来へ踏みしめるように。そう、俺はこの世界を守るためにも歩き出すんだ。
ふと、懐かしい自宅に帰る途中で目に入った新聞。そこに書かれた日付で俺が未来に行っていた時間の長さを思い知った。
一ヶ月。その時間は俺の今後を大きく変えるだろう。まずは自宅に戻って、それからこの時代に帰ってるはずの十代目と合流して・・・やることはこれから一杯ある。時間は待ってくれない。ただあの未来に負けないために、後悔しないためにやれることは全てやっていこう。

未来を変える、なんて途方も無く誰も信じない話だろうけど・・・この孤独な戦いを負けるわけには行かない理由が俺にはある。


決意も新たに胸に刻んだ俺。そんな俺を誰かが見ていたような気がした。




入れ替わっている中学生獄の1ヶ月。獄ママのキーワードとなる話です。伏線だらけの答えは後の展開の中で・・・。