俺に言葉を教えてくれた人は物心がついた俺に教えてくれた。

『白は祝福の子の証』
『銀は災いの子の証』

だから貴方はここにいなきゃいけないの。此処から出てはいけないの。
そう言って涙を流してくれたのは俺の“姉”だという女性だった。姉は俺に名前を教えてくれることは無かったけれどかわりに俺にたくさんの事を教えてくれた。言葉に文字に聖書の読み方。そして俺の名前とここにいる理由。

殺されるために生まれてきたなんて皮肉な話ね。
隼人、と俺の名を呟くと“ごめんね”と言って彼女は俺を抱きしめた。俺に謝るのはいつもの彼女の口癖。けれどその時の彼女はいつもと違った。初めて俺の名前を呼んで、それから謝って部屋を出て行った。
それから彼女の姿を見ることは無かった。誰が話してたかは忘れたが俺の姉は高貴な身分の人物に刃物を向けて返り討ちにあったらしい。最後まで刃物を離さなかった彼女はこれ以上の抵抗が無理と分かると最後はそいつらの前で自らの首を切り裂いたそうだ。

『やはり邪神の姉は悪魔だ』

そんな呟きを聞いても俺には何も感じなかった。何も分からなかった。
けど彼女がいなくなって、俺の体は穴が開いたみたいに寒くなった。
俺が3つの頃の話。


俺はそれからずっと一人だった。しゃべる相手がいないので食事以外で口を開くことを忘れた。ただ姉が置いていった聖書だけを読んで文字だけは忘れないようにした。その聖書の一番後ろのページに俺は爪で何度もこすって名前を刻んだ。

『隼人』

それが貴方の名前なのよ。邪神とか悪魔とかそれ以外で呼ばれたことは初めてだった。

そして名前を知って初めての寒い季節が過ぎたとき、俺の部屋の前に立つ人間が替わった。その人間はとても逞しい体系の男で俺以外の誰もいなくなったのを確認すると悲しげな目で俺を見つめた。
久しぶりだった。誰かの視線を感じるのは。姉がいなくなってから俺を見る人なんていなかったから。俺の部屋の前に立つ人間はいつも目をつむぎ耳を塞いでた。だから諦めていた。けど今度は期待したかった。久しぶりの視線に高ぶっていたのかもしれない。俺は勇気を出して口を開いた。

「あぁ・・・うぅ・・・くくぅぅ・・・」

自分の喉を掻き毟りながら声を出そうとした。けど長い間とじていた唇はなかなか言葉を紡げなかった。でも男は気付いてくれた。いつもと違う俺の様子に驚きながらも俺からは視線を外さないでくれた。悲しげな視線。同情的な眼差し。それでも俺は見てもらえた事が嬉しかった。耳を塞がないでいてくれた事が嬉しかった。

翌日、男は食事を運ぶときに変わった物を乗っけてくれた。透き通った色の丸いもの。口に入れるとそれは甘くて美味しかった。次の日はフワフワとしたいい匂いのするものだった。その次の日はサクサクとした綺麗な模様のついたもの。飴、ケーキ、クッキー。男は初めて食べるお菓子に喜ぶ俺を見て名前を教えてくれた。自分の名前を教えてくれることは最後まで無かったけれど、男は姉と違う知識を俺に教えてくれた。美味しい食べ物、この部屋以外のこと。世界は広くって空と大地は俺に教えられないくらい大きいのだと、彼が俺に話してくれる頃には俺の喉は「ありがとう」と紡げるくらいにはなっていた。
しかし男は突然、姿を消した。姉みたいに何の前触れも無いことだった。男は俺の前に姿を現したのは姉がいなくなって2度目の寒い季節を迎えようとしてたとき。男はその日、お菓子の代わりに絵本をくれた。そして姉みたいに謝って姿を消した。
不思議なもので彼が謝ったとき二度と自分のまえに姿を現すことは無いのだろうと俺はうすうす感じていた。だって誰かの言葉を聞いたから。俺と変わらない歳の彼の妹が流行り病で死んだのだと。

『邪神の呪いだ』

新しく俺の部屋の前に立つことになった男は彼にそう言うと俺の部屋の檻を蹴った。
季節のせいか俺の体はまた一段と寒くなった。
俺が5つの時の話。


姉がいなくなって、男がいなくなって、俺の相手は聖書と絵本だけになった。
男がいなくなってから誰も俺に視線を向けるものはいなかった。俺を見ると呪われるらしい。だから俺も極力部屋の隅で人目を避けるように息を潜めた。
姉がいなくなってから俺と会話をするものがいなくなった。俺の声を聞くと気が触れるらしい。だから何時かの日に備えて声を出す練習は誰にも気付かれないようにするようにした。

誰にも迷惑をかけず、誰も傷つけず、生きていけることが理想的。
だから神様がご褒美をくれたのかも知れない。

『神の子が生まれた』

と、俺の部屋に届くくらいの歓声がいたるところから聞こえた。白い髪を持った少年が誕生したのだと珍しく俺の部屋の前に立つ男は上機嫌だった。

これで俺の役目もゴメンだな。
聖なる神が邪神を倒してくださる。
こんな呪われた餓鬼は早く粛清してくださればいい。

それは姉がいなくなって3度目の暖かな季節。男が消えてはじめての春。
俺が6つの時の話。


そしてそれから3年後。

「白蘭様、これが例の邪神です」

そういって俺の部屋の前に立った変わった服の男は見たことの無い少年を連れてきた。生まれて始めてみる自分より小さな少年。少年は代わった服の男と二、三言交わしながら俺の部屋に近づく。
暗い部屋の中からでも分かる少年の白い服。白い髪に白い肌。

『白は祝福の子の証』
『銀は災いの子の証』

姉が教えてくれた言葉を思い出して俺は少年に顔を向けた。
あぁ、もしかしてこの子が・・・。クスリと笑みを浮かべる少年に俺は口を開く。

「お前が・・・神の御子か?」

少年の背後に立っていた男達は耳をあわてて紡ぐ。数年ぶりにあげた声。やっぱり誰かと話がしたくて、諦めたくなくて、今度こそちゃんと伝えたくて発声の練習を続けてきたのは無駄だったのかな。
お前も耳を紡ぐのか?そう思ったが少年は平然とした様子で俺を“見ていた。

「そうだよ、隼人」

少年の口から出た言葉に耳を疑う。
俺の言葉に答えてくれた。俺の名前を呼んでくれた。それは・・・あの寒い季節以来。そして少年は驚いたことに檻の僅かな隙間から腕を伸ばすと俺の頬に触れてきた。

小さな小さな、暖かい手。こんな感覚、いつ以来だろう。俺の寒かった体が急に温かくなった。

「僕が君と対をなす人間。僕が君の災いを終わらせられる唯一の存在。僕が君の全てだ」

「・・・・・・」

俺の災いを終わらせてくれる存在。なんて甘美な響き。少年の言葉と伸ばされた掌が嬉しくって俺は自分の手を重ねて雫をこぼす。

「あったかい」

ずっとお前を待っていた。

「お前に殺されるなら・・・後悔は無いよ」

聖書の一文、邪神は聖なる神によって焼かれ灰に帰される。災いを呼ぶ存在は神の御子のみが殺す事が出来る。・・・俺を殺してくれるのはお前なんだな。


ありがとう、ありがとう、ありがとう。
嬉しくって、感謝しきれない。


温かな掌は直ぐに引き離されてしまったけれど、それから数日後、俺の頭に初めて人の名前が刻まれた。


白蘭。それが神の子供の名前。


『君が知る人間は俺だけでいいんだよ』

笑顔を向けてくれる少年はそう言うととても満足そうに名前を教えてくれた。





それから数年後、世界は変わる。神の手によって。



捏造小説第二段!前回の獄サイドのお話です。さり気に続き・・・そうな感じです;