(1)

「バレンタインデー」



その言葉をハヤトが知ったのは2月の13日のことだった。
正確には日本流バレンタインデーを、なのだが。

聖バレンタイン。イタリアで言う所のサン・バレンティーノ。
日本ではこの日に、普段お世話になっている男性に
女性がチョコを送る日なのだそうだ。
イタリアでも女性が男性にチョコを送る風習はある。
けれど、それらは夫婦や恋人間で行われる事なのだ。

だから隼人はそのつもりでいた。
あんまり深く考えてなかった。
町に溢れるポップな広告も、チョコレートのワゴンセールも。



「チョッコラータ・・・買わなきゃ!」



ハヤトは通学鞄を片手に
コンビニの前に書かれた広告を見上げると
一度、深く頷き走り出した。


(2)

「おかえりなさいませ、じゅーだいめ!」



夕方過ぎ。
補習を終えたツナが帰ってきて最初に見たのは
そう言いながら子供用のエプロンで身を包み
三つ指をそろえて玄関で出迎えるハヤトの姿だった。

最初は唖然とするツナだったが、
台所からくすくすと笑いながら現れた母親に視線を向けると状況説明を求める。



「なんかね、ハヤトちゃんアルバイトがしたいらしいのよ」

「アルバイト?」



そう言ってツナは立ち上がり、ツナの学生鞄を受け取るハヤトを見下ろした。

小さいからだとエプロン。
どうもその姿的に『ごっこ遊び』感がぬぐえないのだが彼女は本気のようだ。



「じゅーだいめ!バッグお持ちします」



ハヤトはツナが頷く前にそう言うと彼の学生鞄を両手で持ち、
フラフラした足取りでツナの部屋まで運んだ。
どうやら教科書やら漫画やらを入れているツナの鞄はハヤトには重すぎるようだ。
彼女はそれこそ一生懸命に荷物を運ぶ。

けれどその一生懸命な姿は見てるものにとっては
微笑ましくもあり、どことなく笑いを誘う光景であった。



「あら、笑っちゃ駄目よ?」



ツナの心を見透かして、母は忠告する。

そうだ、笑ってはいけない。
彼女は精一杯アルバイトに励んでいるのだから。



「だけど・・・」



ドテーン


二階の廊下から、重たい音が響く。



「こけたな・・・」



その光景を想像して、とうとうツナは噴出してしまった。



(3)

夕食時もハヤトはアルバイトモードだった。
食器の出し入れや、配膳。
ご飯の盛り付けまで、ツナの母の監修のもとで行う。



「じゅーだいめ、どうぞ」



ハヤトはそう言うと大盛りに盛り付けたご飯をツナに差し出した。
茶碗から溢れんばかりに不器用に盛られた白いご飯。

量的にはツナが食べきれるものではなかったが、
ハヤトが笑顔で差し出してくるので何も言い返すことが出来ずツナは笑顔で受け取る。



「ツナ、頑張って食べなきゃね」



一連の流れを見ていた母親がニッコリ微笑みかけるとそういった。


数分後、結局半分近くを残してしまったがツナは夕食を終えた。
半分でも多いくらいだ。ポッこり飛び出した腹を抱えるとツナは動けずテーブルにへたり込む。



「じゅーだいめ・・・大丈夫ですか?」



心配そうにハヤトがツナの顔を覗き込んだ。



「うん・・・大丈夫」



心配かけまいと、ツナは誠意一杯の笑顔を向ける。
それを見ると「そうですか!」とハヤトも笑顔になった。

言える訳がない。彼女が盛ったご飯のせいだなんて。
悪意がないのが分かっているだけに彼女の笑顔が痛い。
そう思わずにはいられない、ツナだった。


(4)

夕食後、腹を痛めたツナは風呂を済ませると早々に床についた。
バフンとベッドに倒れこみ、手足を一杯に伸ばす。
腹はまだ違和感を覚えるが、痛みを感じるほどではなかった。



「じゅーだいめ・・・・」



ベッドに入っているツナに気を使ってか、
ハヤトは部屋に入ると足音を立てないようにして近づく。
手には水と胃薬。



「じゅーだいめのマーマから預かってきました」



ハヤトはそう言うと持ってきたお盆ごとベッドの横のテーブルに載せた。



「じゅーだいめ、お腹痛いんですか?」



せっかく心配をかけない様にしてたのに・・・。
はぁ、と溜息をつくとツナは『心配しなくても大丈夫だよ』とハヤトに返す。

けど、何かを察しているのかハヤトはツナのベッドに近づくと
小さな手を布団の上からツナに乗せた。



「いタいのいタいのとんデけー」



なれない発音でハヤトが呟く。



「ハヤトのマーマが教えてくれました。
 日本じゃこうして治すんだ・・・って、おまじないです」



嬉しそうに言うとハヤトはもう一度言いながら、ツナのお腹を撫でた。



「いタいのいタいのとんデけー」



なんか発音が変だよ。
きっと言われた言葉を意味も知らずに覚えただけなのだろう。

だけど・・・。



「ありがとう、治ったよ」



なんとなく腹の違和感を感じなくなった。
ツナは単純な自分に苦笑しながら、今度は自分の手をハヤトの頭に載せる。



「今日は頑張ったね」



そう言うと、ハヤトは照れくさそうに笑った。
そして小さく呟く。『本番はこれからです』と。

けれどツナはその言葉に気が付くことなく目を閉じた。

それは2月の13日の夜のお話。


(5)

2月14日。

朝、ツナが起きると既に家の中にハヤトの姿がなかった。
母いわく、朝早くに家を飛び出したらしい。
いつもだったらツナと一緒に登校すると駄々をこねるハヤトの奇行にツナは眉をひそめた。



「そういえば昨日、ハヤトちゃんは何でバイトなんかしてたの?」



思ってみれば彼女の奇行は昨日からだった。
それを思い出したツナは朝食をとりながら母に尋ねる。

だが、それを聞いた母親は悪戯っぽく笑うと、



「内緒」



と、だけ返した。
分けのわからないツナはお弁当を預かると、鞄につめ家を出る。


結局、ハヤトから30分以上遅れての登校だった。


(6)

学校に着くと、なんとなく色めき経つ雰囲気にツナは眉をひそめた。
そしてクラスに入り、友達である山本に挨拶をした瞬間にその原因を悟る。



山本の机に積まれたチョコレートの山。



そうか、今日はバレンタインだったのか。
余りにも自分と無縁すぎるイベントのためツナは見落としていた。
否、気づかないフリをしていた。



「凄いね・・・山本」



親友の人気ぶりを見ながらツナは自分の席にいく。
鞄をあけ、机に教科書を入れる。
言うまでもないがツナの机の上にも、中にもチョコは入ってなかった。

分かっていたが溜息が出る。

なんとなく期待していた自分が悔しくもあり、恥ずかしくもある瞬間だった。



「まぁ、気にするなよツナ」



はははと笑いながら山本はツナの背中をバンバンと叩く。
勝者の余裕。ちょっとひねくれた目で行くとそう見えてしまう山本の姿だった。


(7)

「まぁ、こんなにもらっても食いきれるもんじゃないけどな」

「確かにね・・・」



山本の机のチョコの山は朝のホームルームが始まるまでの間に増殖を続けていた。
クラスメート、同級生、下級生、果ては上級生からも。
聞いたところによると机の上だけでなく、下駄箱にも入ってたらしい。



「でも考えてみれば不衛生だよな、下駄箱って」



そう言い切ってしまえばロマンもへったくれもなかった。

あれ、でも・・・。



「そういえば・・・ハヤトちゃんは?」



教室にはいれば飛びつかれるかと思っていたが、
今朝はまだハヤトの『じゅーだいめ』攻撃がなかった。



「へ?お前と今朝も一緒に着たんじゃないのか?」

「いや、今朝は先に出たらしくって・・・」



キョロキョロと教室を見渡す。
けれど探せど探せど小さなクラスメートの姿は無かった。



「まさか・・・誘拐とか」



(8)

誘拐。

ポツリともれた山本の一言に、クラスは一瞬静かになった。



「誘拐・・・」

「あんなに小さい子だもんね・・・」

「可愛いし・・・」

「変な人に目を付けられて・・・・」

「もしかしたらお菓子で釣られて・・・」



ザワザワと『誘拐』の一言でクラス中が騒ぎ始めた。
一瞬でバレンタインデーという甘い雰囲気が一転して、暗いムードである。



「ごごごごごご獄寺が変質者にさらわれたのか!!!???」

「え?いや、山本まだ決ってないから」

「だってあーーーわかんねーぞ!!
 きっと可愛いから今頃、危ない奴に誘拐されてあんなことやこんなことを・・・・」

「山本、落ち着いて!」

「“おじょーちゃん、おにいちゃんといいことしようね?”とか言われて
 お医者さんごっことかされてたらどうしよう、ツナーーーー!!!!」



目がマジです。この人。
とりあえず本当に誘拐事件があったらまず最初にコイツを通報しよう。


ツナはそう思いながら山本から視線をずらした。
未だに彼はツナの手の届かない所で会話を続けている。

なんとなくかもしれないが、増殖を続けていた山本の机のチョコレートは
この瞬間を持って減少をし始めたように見えたのは気のせいとは思えなかった。



(9)

「誘拐?誰がですか」



その声が教室に響いたのは山本が『山本のバット』そ装備して飛び出そうとした頃だった。
パニックになった教室に入ってきた小さな影。

それはどう見ても渦中の人物であるハヤトであった。



ハヤトは不思議そうに首をかしげるとトコトコとツナに歩み寄る。



「じゅーだいめ、なにかあったんですか?」

「なにかあった・・・いや、なかったのかな。うん」

「?」



いつもと変わらないハヤトの様子に胸をなでおろしながら
ツナは壁にかかった時計に目をやった。

時刻的に遅刻からはギリギリセーフ。
だが、それはツナから30分以上も早く出たのにしてはおかしな登校時刻だった。



「ハヤトちゃん・・・寄り道でもしてきたの?」



ツナにそう言われてハヤトはビクリと体を震わす。
そして体の後に隠すようにして持っていたビニール袋から
包みを一つ取り出すとそれを恥ずかしそうにツナに渡した。



「これ、じゅーだいめにわたしたくって・・・けさ、買ってきたんです」



それは可愛らしいキャラクター書かれた包装紙に包まれた・・・チョコレートだった。
大きさ的にも値段的にもたいしたものではないだろう。

だが、それをぎゅっと握りながら隼人はポツリポツリと呟く。



「本当はもっと良いものを用意したかったんですけど、
 ジャポーネのサン・バレンティーノをしったのが昨日だったもんで・・・。
 それでじゅーだいめのマーマにお願いして、昨日一日アルバイトさせてもらったんです!
 あんまりハヤト、おこづかいもってなかったし、昨日だけのバイト代だと
 ・・・・チョッコラータ・・・こんなのしか買えなかったんですけど・・・」



そこまで言うと涙を目じりにため始めた。
本人なりに悔しいのだろう。
ハヤトの気持ちはよく伝わってきた。



「一番・・・やすいのしか買えなかったんですけど・・・受け取ってもらえますか?」



ハヤトはとうとう鼻をすすり始めた。
ここまで言われて受け取らなかったら鬼だ。悪魔だ。男じゃない。



「ありがとう。嬉しいよ」



ツナがニッコリ笑って受け取ると、ハヤトは彼に抱きついて泣き始めた。
受け取ってもらえても受け取ってもらえなくても泣くらしい。

でも、これはうれし泣きなのだろう。それならいいじゃないか。

気が付けば二人を見守っていたクラスメート達から拍手が送られた。
良いクラスメートに恵まれたもんである。


ただ、一人山本だけは状況と展開についていけず山本のバットを持ったまま固まっていたが。


(10)

放課後、モグモグとハヤトからもらったチョコレートを食べていたツナ。
そんな彼に泣きつきながら飛びつく小さな影があった。



「じゅーだいめーーーーー」



言わずもがな、ハヤトである。

彼女はエグエグと嗚咽を漏らすとツナの足に抱きついて泣きじゃくった。



「どうしたの、ハヤトちゃん?」

「てづくりーーーーー」

「はぁ?」

「一番の人には手作りだってーーーー!!!」



そこまで言うとハヤトはまたワァワァと大声を上げる。
言葉にならない言葉。幼児特有の絶叫。

彼女の言葉をパズルのように組み合わせればこういうことらしい。



市販のチョコをあげるのは義理。
手作りチョコをあげるのは一番の人。
で、彼女は一番である『ツナ』に義理をわたしてしまった。
それが恥ずかしくって悔しくってしょうがない。



「ごめんなさーい、じゅーだいめーーー」



何とも理由がどうしようもない。
わぁわぁと泣き続けるハヤトの頭をポンポンと叩くと
ツナは呆れながらこういった。



「なら、来年手作りちょうだいね」



そういった瞬間、ハヤトがぴたっと止まった。

そして目を輝かせると嬉しそうにツナを見上げる。



「じゃあ、来年もじゅーだいめにチョッコラータあげてもいいんですか」

「うん、いいよ」

「じゃあじゃあ、来年もじゅーだいめのそばにいてもいいんですか」

「うん、いいよ」

「じゃあじゃあじゃあ、来年もその来年もその来年もいいですか」

「うん、いいよ」

「じゃあじゃあじゃあじゃあ、来年もその来年もその来年もその来年も・・・・」

「うん、ずっといいから」



呆れたように言い放つツナの言葉にハヤトは嬉しそうに微笑む。



「ずっとずっとずっとですよ!」

「はいはい・・・」

「じゃあ、ずっとずっとずっとハヤトはじゅーだいめと一緒ですよvv」



ニコニコと嬉しそうに、何処までも嬉しそうにハヤトは笑う。
ツナも釣られて笑う。まだ口の中にはさっき食べたチョコレートの味が広がる。

なんとなくこの雰囲気もそんなチョコのように甘い。そんな気がした。



「じゅーだいめ、だぁーいすきv」



ずっとずっと一緒に。来年もまた同じバレンタインを。
それはチョコのように甘い約束。



バレンタイン用って事でかなり甘めです。ツナ獄・・・になるのかな;